たとえばコメントのようなもの
ニコニコ動画を見るようになってもう10年くらい経つんですが、10年前はというと実況動画が流行り始めたような頃で、今でも実況動画を見る以外のことはあまりしていません。
そして実況動画を見ていると、どうにも引っかかるコメントというものが出てきます。
たとえばネタバレコメ。ストーリーのあるゲームで、「もしかして◯◯なんじゃね?」みたいな、物語の先を推測・考察するようなコメント(意図してネタバレしている場合が多い)。
たとえば指示コメ。「◯◯しろよ」みたいな、プレイヤーに指示をするコメント。
たとえばつぶやきコメ。「◯◯なんだけどね」みたいな、自己完結型の上から目線のコメント(ネタバレ・指示の変形)。
こういうのが嫌だからやめてくれ、という話ではなくて、こういうコメントはなぜか同じような再生時間に一斉に流れてくるのが不思議だなぁという話。
みんながみんな投稿直後に見ているのでなければ、必ず最初に同じ内容のコメントをした人がいるはずで、そのコメントが流れてくるわけで、それを見たうえでなお上述のようなコメントをするっていうのはどういう精神状態なんでしょうか。
道を歩いているとAさんがBさんを殴っていたから、全然知らない人だけど通りざまに自分も殴っていくか、みたいなことをしているように見えるのです。
いや、どうでもいいんですけどね。
たとえば心のようなもの
たとえば思いやりのようなもの
たとえば衝動のようなもの
衝動買いというものが、学生の頃はわかりませんでした。アルバイト経験に乏しく、お金がなかったというのも理由のひとつかもしれません。
今は社会人になって働いて、余裕があるとは言いがたいものの、決して苦しくはない生活を送っていて、そうなるとたまにしてしまうのです、衝動買い。
ストレスを発散する、というのとは少しニュアンスが違うんですが、自分の中で何かが行き詰まってしまったとき、それまで触れてこなかったもの、目を向けてこなかったものに手を伸ばしてしまう癖があるようで。新しい何かを強引にでも取り入れたくなってしまうのです。
そんな衝動買いの今回の獲物はこちら。
今もこれを使って記事を書いています。
きっかけは、最近これの無線版が出たという記事を目にしたことでした。ただどうやらあまり評判は良くない?らしいというのと、家で使うぶんには有線でも困らないので、あえて古いほうに。HHKB の存在自体は以前から知っていたのですが。
最初パソコンに繋いで試しに文字を打ってみた時は、バックスペースがわからず、「HHKB バックスペース」で検索する始末。2番と3番のスイッチを入れ、C-hjkl の設定をし、やっととりあえず使えるようになりました(わかる人にはわかるでしょうか)。
無刻印モデルはタッチタイピングの練習になるという言をちらほら目にするのですが、もともとタイピングの練習をしたこともなく、ホームポジションなどもってのほかという自分にとって、果たして良い影響があるかは疑わしいです。
肝心の打鍵感は、自分のパソコンを持つようになってからずっと Mac のキーボードを使ってきた自分にはなかなか新鮮で、音も含めて気持ちよさがあるのはなんとなくわかります。コトコト、というか、パクパク、というか、そんな感じ。
とりあえず今年の目標のひとつに、タッチタイピングができるようになる、というものを追加しようと思います(余談ですが、他には英語を聞き取れるようになる、という目標も掲げています)。
この衝動が、良い方向にも向かってくれると良いのですが。
たとえば思い出のようなもの
特別お題「青春の一冊」 with P D MAGAZINE
青春の、というほど甘酸っぱい時分に読んだものではないんですが。
当時2年ほど付き合っていた恋人と別れ、少し経った時のこと、従兄弟の結婚式に招待され、地元に帰ることになりました。もちろん、「こっちは傷心なのにご結婚とは幸せなことじゃないですか」、などと捻くれた考えはなく、純粋にお祝いする気持ちでの帰省の途。ちょうどその少し前に買った一冊が、『from everywhere. / 坂本真綾』。
声優の坂本真綾が、5週間の休みを取ってヨーロッパを一人旅した時のエッセイです。
これがとても良い本で、自然と情景が浮かんでくるような文章が印象的な一冊。やはり普段言葉を使うお仕事をされているからでしょうか、言葉のひとつひとつがするすると染みこんでくるのです。傷心だったからというわけではありませんが、自分もどこか遠く、知らない場所に旅に出たくなってしまうのでした。
青春時代に読んだ本を挙げるとライトノベルばかりになってしまいそうだったので、青春の痛みと共に心に残っている一冊をご紹介しました。ちょうど今、坂本真綾の別のエッセイを読んでいるのですが、そちらもとても良いのでおすすめしておきますね。