たとえば思いやりのようなもの

記事タイトル、縛りを設けているわけではないのですが、なんとなく揃えていたら厳しい感じがしてきました。さらっと全然違う体になっていても気にしないでくださいね。

「がんばれって、言う方も言われる方も、無責任なんだよな」
10年ほど前に見ていた、『舞-HiME』というアニメに出てきたセリフです(細かい言い回しは間違えているかもしれません)。
「がんばれ」、に限らず、責任の所在が不明瞭な、ともすればいい加減な言葉というものが世の中には溢れており、ことそれが善意から発せられるものだと、なんとも複雑な気持ちになります。
「がんばれ」とか、「無理するな」とか。「言われなくてもがんばってるよ!」とか、「無理したくてしてるわけじゃないんだよ!」とか、思ってしまうのです。言葉そのものが悪いわけではありません。「がんばれ」というのは応援の言葉だし、「無理するな」というのは労わりの言葉です。言われて悪い気持ちになるものではないはずなのです。それを素直に受け取れないのは、自分がそういう、捻くれた大人になってしまったからなのでしょうか。

がんばっているのです。無理をしなければならないのです。そんな言葉でプレッシャーを与えるよりも、温かく見守り、密やかに救いの手を差し伸べていただけないものでしょうか。