たとえば刃物のようなもの

つよい言葉というか、こわい言葉というか、そういう物言いをする人が昔から数人身近にいて、それは皆さんもそうかと思うのですけれども。今『つよい』も『こわい』も漢字にすると『強い』と書けることに気付いてひとり勝手に合点がいきました。

そういう人って、そのまま攻撃的な言葉を使う人と、言外に、行間に攻撃的な印象を持たせる人とがいるなぁと思います。どちらがマシかと言うと、どちらも好ましくないのでマシとかないんですが。どんなに任務遂行能力があって、実績があっても、こういう数字にできない部分というのは心象の点で大きなウエイトを占めるもので、なかなかその人と朗らかにコミュニケーションを取ることができなくなってしまいます(個人の感想です)。一方で、多少周囲に世話を掛けながら生きているように見える人でも、言葉遣いや人あたりや、もっと言うと雰囲気みたいなものに棘がないと、とても好感を覚えたりもするものです(個人の感想です)。

言葉は人を傷付け、その傷はなかなか癒えづらいもので、そんな危険な刃物のようなものを振り回しては生きたくないなぁと、思うのであります。